ジョン・ラターは (John Rutter)、1945年ロンドン生まれのイギリスの現代作曲家です。「ラッター」と書かれることもありますが、「ラター」の方が元の発音に近いと思われます。
ハイゲイト校(Highgate School: ロンドンの私立学校)での合唱経験を経て、ケンブリッジ大学のクレア・カレッジ(Clare College)で音楽を学び、その後、大学での音楽指導と同時に主に合唱曲の編曲・作曲に力を入れました。1979年より、作曲活動に専念するため独立し、1981年に教え子を中心としたプロの合唱団ケンブリッジ・シンガーズ(The Cambridge Singers)を結成、1984年には専用レーベルのコレギウム・レコード(Collegium Records)を設立、自作を含めた合唱曲を多数録音しています。
ラターの作品の大半を占める宗教音楽への献身が認められ、1980年にカンタベリー大主教より名誉博士号を授かりました。その一方、2003年にアメリカのテレビ番組のインタビューでは、自分はあまり信心深い人間ではないと主張しています。確かに、彼の音楽には聞きやすい、ポップスに近い要素が多く、イギリスでは「軽い」と言う批判がないこともなく、そのためか彼の作品はアメリカで一番人気があるようです。
ヘンリー8世の時代に、イングランドは主に政治、経済的な理由からローマカトリック教会から分裂し、イングランド(イギリス)国教会がつくられました。そのため、その後の教会での儀式、習慣はだいぶカトリック教会から離れ、カトリック教会では1960年代まで自国語ではなくラテン語でミサなどが行われてきましたが、イギリス国教会ではラテン語を使わず、何百年もの間英語で行われてきました。イギリスでは宗教改革のころに初版された「祈祷書」(きとうしょ)が一般的になり、20世紀までその改版(1662年)が広く馴れ親しまれてきました。そのため、イギリス人キリスト教徒にとってカトリック教会の儀式、そのことばに対する意識は低いようです。
そのような理由から、イギリス人の作曲家による「レクイエム」は数少ないのですが、そのなかでも広く知られているのはベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」です。これは1962年に作曲された大規模な曲で、レクイエムのラテン語の文と共に、第一次世界大戦で亡くなったWilfred Owen (ウィルフレッド・オーエン)の反戦の英語詩が入っています。
ラターのレクイエムはブリテンとは対照的に小規模ですが、同様に英語の詩も取り込まれています。ラターの場合、英語の部分はイギリス国教会の葬儀によく使われている詩篇、他に祈祷書の中で使われる文になっています。このレクイエムは、1985年に彼の亡くなった父親に捧げるため作曲したもので、聴く人に素朴な葬儀を思い浮かばせます。
ラターの作風は広い範囲から影響を受けていますが、この曲から一番連想されるのはフォーレのレクイエムでしょう。彼は前年(1984年)にフォーレのレクイエムの第2稿の校訂版を発表しています。それまでよく演奏されていた第3稿と比べ、第2稿はオーケストラも小規模で、フォーレの意図とするレクイエムにより近いと思われます。
作風以外にも、二つのレクイエムがおもしろいくらい似ているところがいくつかあります。フォーレは、1845年生まれで、ちょうどラターより100年前の人物でした。やはり40歳くらいの時父親を亡くし、その後委託なしで自発的にレクイエムの作曲に手をかけました。フォーレ自身の話では「楽しみで作曲した」と言うことです。そして両曲とも Dies irae (怒りの日)を抜かし、ヴェルディのような劇的な雰囲気より、希望に満ちた明るい印象を与えています。代わりに、二人とも Pie Jesu をソプラノソロとして加え、 更に両曲とも10年ほど前に作曲した曲が含まれています。フォーレの場合、Libera me は1877年の作品で、ラターの The Lord is my Shepherd (詩篇23)は1976年に個別に作曲されたものです。
レクイエムは七楽章で構成され、4楽章を中心にして対称な形になっています。1楽章と7楽章は神様への祈り、2楽章と6楽章は楽器のソロ演奏を含む詩篇で、3楽章と5楽章はイエスへの祈り、4楽章はサンクトゥスの感謝の賛歌です。
楽譜は、詩篇と祈祷書の文は英語で、ミサからのラテン語の歌詞にはラター自身の英訳が付いていますが、今日はミサはラテン語のままで、残りを英語で歌います。楽器の編成は小規模オーケストラ版と七人演奏者のアンサンブル版の二種類から、後者を採用しました。
ティンパニーの厳粛な響きと、神秘さと絶望に満ちた不協和音で始まり、合唱が"Requiem aeternam"を繰り返し歌い、そして、光が射し込んだような明るいメロディへと展開します。
ドラマチックなチェロのソロ演奏から始まり、合唱は物悲しい短調のメロディーで、絶望の淵から神に慈悲を乞います。
フォーレと同様に、ラターはこの楽章をソプラノソロに与えました。長調に変わり、澄みきった静穏なメロディーを、合唱が静かに結びます。
「聖なるかな」と、神を讃える賛歌、明るく華やかな合唱曲です。
荘厳な雰囲気に戻り、ミサのアニュス・デイ(ラテン語)の繰り返しの間に祈祷書の葬儀に使われる英文が挟まれます。音楽は半音の不協和音等、陰鬱な感じの一曲です。
2楽章と同様に、葬儀によく使われる詩篇ですが、もっと希望に満ちた感じで、長調のオーボエのソロ演奏にハープの飾りで始まります。ピエ・イェズの響きを思い起こさせるような明るい旋律を女声、男声、そして全員でユニゾンで歌います。
初めに祈祷書の文がソプラノソロから合唱に引き継がれ、転調後、最後にミサの「永遠の光」をさらにゆったりと、暖かく歌い、静かな結びに導きます。
Requiem aeternam dona eis, Domine, et lux perpetua luceat eis. Te decet hymnus Deus, in Sion, et tibi reddetur votum in Jerusalem. Exaudi orationem meam; ad te omnis caro veniet. |
主よ、永遠の安息を彼らに与え、 絶えざる光でお照らしください。 神よ、シオンではあなたに賛歌が捧げられ、 エルサレムでは誓いが果たされます。 私の祈りをお聞き届けください すべての肉体はあなたの元に返ることでしょう。 (詩編65:2-3) |
Kyrie eleison; Christe eleison; Kyrie eleison |
主よ、あわれみたまえ。 キリストよ、あわれみたまえ。 主よ、あわれみたまえ。 |
Out of the deep have I called unto thee, O Lord: Lord, hear my voice. O let thine ears consider well: the voice of my complaint. If thou, Lord, wilt be extreme to mark what is done amiss: O Lord, who may abide it? For there is mercy with thee: therefore shalt thou be feared. I look for the Lord; my soul doth wait for him: in his word is my trust. My soul fleeth unto the Lord: before the morning watch, I say, before the morning watch. O Israel, trust in the Lord, for with the Lord there is mercy: and with him is plenteous redemption. And he shall redeem Israel: from all his sins. | (詩編130) |
Pie Jesu Domine, dona eis requiem. Pie Jesu Domine, dona eis requiem sempiternam. |
慈悲深き主、イエスよ、 彼らに安息をお与えください。 慈悲深き主、イエスよ、 彼らに永遠の安息をお与えください。 ミサのLacrimosaの一部分です。 |
Sanctus, Sanctus, Sanctus, Dominus Deus Sabaoth; Pleni sunt caeli et terra gloria tua. Hosanna in excelsis. Benedictus qui venit in nomine Domini Hosanna, in excelsis. |
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 万軍の神よ、主よ 天と地はあなたの栄光に満ちています。(イザヤ6:3) いと高きところにホザンナ 主の御名において来る者は祝福されますように(詩編118:26) いと高きところにホザンナ (ホザンナは「救い給え」の意)。 |
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona eis requiem. |
この世の罪を取り除く神の小羊よ(ヨハネ1:29,36) 彼らに安息をお与えください |
Man that is born of a woman hath but a short time to live, and is full of misery. He cometh up, and is cut down, like a flower; he fleeth as it were a shadow. | |
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona eis requiem. |
この世の罪を取り除く神の小羊よ(ヨハネ1:29,36) 彼らに安息をお与えください |
In the midst of life we are in death: of whom may we seek for succour? | |
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona eis requiem. |
この世の罪を取り除く神の小羊よ(ヨハネ1:29,36) 彼らに安息をお与えください |
I am the resurrection and the life, saith the Lord: he that believeth in me, though he were dead, yet shall he live: and whosoever liveth and believeth in me shall never die. | |
(レクイエムの agnus dei と祈祷書の(葬儀に使われる)文が交互になっています。) |
The Lord is my shepherd: therefore can I lack nothing. He shall feed me in a green pasture: and lead me forth beside the waters of comfort. He shall convert my soul: and bring me forth in the paths of righteousness, for his Name's sake. Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil: for thou art with me; thy rod and thy staff comfort me. Thou shalt prepare a table before me against them that trouble me: thou hast anointed my head with oil, and my cup shall be full. But thy loving-kindness and mercy shall follow me all the days of my life: and I will dwell in the house of the Lord for ever. |
主はわが牧者、私は乏しいことがない。 主は私を緑の牧場にふさせ、憩いの水辺に伴ってくださる。 主は私の魂を生き返らせ、その名によって正しい道を歩ませてくださる。 たとえ死の谷を歩んでも、あなたが共にいてくださるので、私はわざわいをおそれない。あなたのむちと杖は私のなぐさめ。 あなたは敵の面前で宴を設けて、私に油を注がれ、杯を満たされる。 命ある限り、私には恵みといつくしみが与えられ、私は永遠に神の家で憩うだろう。 (詩編23 祈祷書版) |
I heard a voice from heaven, saying unto me, Blessed are the dead who die in the Lord: for they rest from their labours: even so saith the Spirit. | 主よ、彼らを永遠の光でお照らしください。 聖者たちとともに永遠に あなたは慈悲深くあられるのですから。 |
Lux aeterna luceat eis, Domine: cum sanctis tuis in aeternum, quia pius es. Requiem aeternam dona eis Domine: et lux perpetua luceat eis. |
主よ、永遠の安息を彼らに与え、 絶えざる光でお照らしください。 (祈祷書の(葬儀に使われる)文とレクイエムの lux aeterna の組み合わせ。) |
ラテン語のスペルには結構バラツキがあります。例えば、「天」の意味のはググってみれば "coeli" が17000件に対する "caeli" の9000件で、'oe' が一般的でしょう。しかし、ここでは、なるべくラレクの楽譜の通りにしましたので、 "caeli" になっています。